Rub-A-Dub

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2013.02.12 Tuesday ... - / -
【フリージア Freesia】



 

    idont know when   @ home






よく行くお花屋さんにフリージアの花。
今年も季節がはじまったんだ、とついつい嬉しくなる。


フリージアという花は知名度が低くて、
私が好きなんだといってもキョトンとされることが多い。丸い花弁のラッパの花が1本の茎にちらほらと咲く姿は確かに地味なのだけど、そうなのだけど、、その姿からは一見想像ができない香りのビビッドさが、わたしは毎年楽しみなんだと思う。


八丈島は、フリージアの栽培が盛んで、季節になると一面がフリージア。フリージア祭りというお祭りまであって、飛行機に乗る前にひと束といわず二束三束と手渡してくれるという。その花束を持って帰って来てくれた人に、一面のフリージア畑のことを聞いて、くらくらするような香りの真っ只中に立ってみたいな、と思ったりした。


ひとを花に例えることが好きで、あの人は霞草、あの人はラナンキュラスと当てはめては、胸のうちでほくそ笑んでいるけれど、わたしはきっとフリージアがいい。目立つというような花ではないけれど、一度かいだら忘れられないような、そんな匂いたつような魅力があったらいいななんて。
これから10年の目標にしようかしら。






2013.02.10 Sunday ... comments(0) / trackbacks(0)
【スピーカー speaker】




2008  i dont know when



 涼しいうちに起き出してきて、片方のスピーカーでピアノの音を聞く.
久しぶりに1人で何もしない週末。音楽を聞きながら、本を読む幸せ.

思い返すのは、学生時代後半につらつらと考えていたテーマのこと.
学生時代に先生から言われていたことを思い出しながら、
今置いている立場になってみてわかることが多いことに改めて気づく.
直線的だった考えに、点が1つずつ増えていって、
面になり、立体になり、ゆらぎ、波になる.
様々な視点を持つ豊かさは、それこそ海のような豊かさ.

結局このテーマとは一生のおつきあいになるのだろう.
それが今は、とてもうれしい.

それにしても、どうして片方のスピーカーからしか音がでないのだろう.
がんばれ!おんぼろスピーカー.



2012.07.29 Sunday ... comments(0) / trackbacks(0)
【 そうだよ 】
 




    2008   i don't know when  tokyo  yoyogi 




   そうだよ
   うん
   そうだよ












2011.12.10 Saturday ... comments(2) / trackbacks(0)
【たたく2 drum2】



 



 2008   yoyogi     kiyoshi's drums




 きよしさんのおんらくたち










2010.02.01 Monday ... comments(0) / trackbacks(0)
【イエスとノー yes and no】
 






2008    may     onjyuku




わたしの人生に起きるどんなできごとも、
イエスと思えば、イエス。
ノーと思えば、ノー。



2009.10.11 Sunday ... comments(0) / trackbacks(0)
【つくる make it】
 



2008 Jan   Iriomote




つくる

つくることは楽しい








解読: あしたはくつきずくり。
    りくとようことゆうまでつくり。
    ○こむぎこ○さとう○ばたあ○たまご○かた













2009.10.02 Friday ... comments(0) / trackbacks(0)
【海のゴミ Flotsam rubbish】





2008 Jan   Okinawa   Iriomote






もう5年も6年も前になるけれど、瀬戸内海のある小さな島へ行ったことがある。
それまで、地図にあったとしても決して気づくことなんて無かった島だけれど、
(それに、本当に小さな島。名前だってその態を表している。)
あることがキッカケで、ひょんと行った島。

島には小学校が1つしかないし、島民はおじいちゃんとおばあちゃんばっかりで、
港からの坂道を補助車を使ってゆっくりゆっくり歩いていた。
何の変哲も無い瀬戸内海の小さな島だったけれど、
案内してくれた人の素朴な話し振りや、
ゆったりとした足どりとともに回る場所場所を覚えている。

そんな島巡りの最後に、小さな海岸に出た。
冬の空で灰色だったけれど、細い道からでた瞬間の広がりはとてもいい浜だと感じさせるものがあった。
でもそこには、他の瀬戸内海の島と同様に、潮の流れの吹きだまりとなって、
たくさんの海の漂流物が集まってきていた。
ピンクや水色のプラスチック、金属の破片、ガラスのビン、大きなブイ、お菓子の袋……
片付けることができる人なんて、もちろんいなかった。
それから海ゴミのことは、小さなひっかかりとなって、心に留まるようになったのだと思う。



その後すこしづつ、海のゴミに対して動き出そうとする人たちがいるのだということを私は知った。
私の知り合いの中にも、サーファーとして自分たちの海と砂浜を
すこしづつきれいにしていく行動をとっているひとたちがいる。
ビーチクリーンという名前で、人々に認知されはじめ、最近は企業の取り組みとして
海岸の清掃活動を取り入れているところもある。
私は傍観者としてだけれど、大いにエールを送るとともに、
だけれども、果てしなく広がる海から波に乗ってやってくる漂流物たちに
呆然とするような気分も持っていた。
小さな取り組みを重ね合わせていくだけでは、乗り越えられない問題があるようにも感じていた。
そして、行動力のある地域と、堆積する漂流物に埋もれるようにして生きなければならない地域(小さな島々、過疎の漁村)との差をおもった。



日経Ecolomy:私たちの海を守るために〜「海ゴミ処理推進法」が成立(09/08/06)

http://eco.nikkei.co.jp/column/clean_tanaka/article.aspx?id=MMECc8000004082009


少し前の記事になるけれど、
こんな記事を読んだ。
去る7月8日の国会で、この「海ゴミ処理推進法」が成立したということと、
それにまつわる周辺情報をまとめてくださっているコラムである。
寡聞にして、そんな法律が成立していたことを知らなかった。
そして、その影で力を尽くしてくださった方たちがいることも知らなかった。
テレビも新聞もほとんど見ない・読まない人種なので大きなことは言えないけれど、
もっと多くの人に知ってもらうために、
以下、すこしまとめてみたいと思います。


まず最初に、
清掃活動を民間のボランティアベースに頼らざるを得ない状況、
そして国と都道府県の無関心に対して、
とても実行力のある法案として立案された、と私はおもう。

元々は、海岸から“回収された”ゴミは、その海岸をもつ市町村が回収する義務があるということだけだったという。
つまり回収されたゴミがゴミ袋に入ったら、その処分は市町村が行う義務があるというだけの話で、海岸の美化は努力義務とされているだけ、放置しようと思えば放置できる状況だったとのこと。
また、漂着してきたゴミは一体誰のものなのか、潮流の関係である場所に他の県のゴミも含めて大量にゴミが堆積するなど不公平感があったり、責任所在が不明瞭なこともあり、
事実上は、市町村は財政が苦しいことを理由にあげて、海岸にあるゴミを積極的に回収するところまでは至っていなかったようだ。つまり放置されたゴミはそのままだったということ。
(もしくは、市町村が回収・処理費用として多額の財政負担を背負い、泣かされていたか。)


===

  今回成立した「海ゴミ法」を整理をすると、

  ・海岸線を持つ市町村がスムーズに回収・処理できるように、
   国や都道府県が処理対策費用を予算化するように、と明記したこと。
   (09年から3年間で50億円、とのこと)

  ・海外や他の自治体から大量に漂着ゴミが流れ着くことの多い離島地域などを
   重点地域として、国が予算的に「特別な配慮」する、と明記したこと。

  ・海ゴミ対策として、国・都道府県・市町村・海岸保有者たちが、
   何をやるかをはっきりさせたこと(役割分担)



  また、このコラムでは、
  今まで知らなかった、海のゴミの分類についても知ることができる。

  海洋ゴミーー漂着ゴミ・・・海岸・砂浜などに漂着したゴミ
      |
      ーー漂流ゴミ・・・海流に乗って海を漂い、海面および海中を浮遊しているごみ
      |
      ーー海底ゴミ・・・海中に蓄積されたゴミ



===

全然知らなかった。
でも、知ることができてよかった。


大きな予算がついたことで、純粋な気持ちだけで動く人たち以上に
より打算的でそして悪意のある人たちも多くなることだと思う。
問題を常に正確に知り、見守りつづけたいとおもう。
自分なりに理解して、隣の誰かに伝えたいとおもう。


今回の法案は、「誰が」回収・処理するのか明確な漂着ゴミが主な対象となっているけれど、
より大きな問題として捉えるべきは、この「海底ゴミ」の問題だとも書かれている。瀬戸内海などでは、漂着ゴミと同じ量の海底ゴミが海の底にあるのだと聞いた。
(昨日「崖の上のポニョ」をもう一度見ていて、底引き網に引っかかる雑多なゴミを描き出していた宮崎駿の視点に、改めてすごいなと思うのだった。)





2009.08.20 Thursday ... comments(2) / trackbacks(0)
【ロールケーキ roll cake】






2008 Jan   Okinawa  Taketomi





ロールケーキが食べたい病







2009.08.06 Thursday ... comments(3) / trackbacks(0)
【私の帰り道 my way home】






2008 Jan  Okinawa  






わたしが最近気に入っている帰り道を教えます。(定時・徒歩バージョン)




蒸し暑い改札を抜けて、歩き出すのは戦後のドヤ街の末裔。赤い提灯や黄色い提灯のなかを、比較的若い男の子たちや女の子たちが立ち働いている。一坪の店子が並ぶ駅前のエリアは、最近実にめまぐるしいな、と思う。昼間は昔通りのラーメン店だったはずが、夜は呑み屋に変わったりしてまったく雰囲気が違うのだ。そういえばこのエリアの、雑貨と酒と野菜を売る店にいたお兄さんに昔ドキドキしたな。用もないのに野菜を毎日のように買ったっけ。
そのエリアを横目で見ながら、昔からつづく果物卸の店をのぞく。毎回ソルダムばかり買うので、すっかり覚えられてしまった。「よっまいど」ソルダム350円。昔からのデパートの横を歩く。前を歩く人のしっぽを見ながら歩く。みんな家に向かってまっしぐら。小道に入ると急に人通りが少なくて、前方にチラチラとお店の光が光り出す。お好み焼きと路上骨董店。小さなケーキ屋さん。知り合いのお兄さんが営む小さなお店。シャッターは降りているけれど大きな鉢に南国の木が植えられている。大きな棕櫚のような木だ。そしてイタリアン。オーナーは33歳のときにこの店を開いたと言った。車のヘッドライトがキラキラと行き交う。避けるようにして更に小道。
ここからは店の光も追いつかない場所。雲の木と呼ばれている大きな木が迎えてくれる、私の帰り道のハイライト。昔鬱蒼とした森を持つ一軒の家は、持ち主が死んでから壊されていくつもの小さな分譲住宅になった。もちろん森も切り倒されたけれど、ケヤキの木だけは残された。ひょろりと長く伸びた幹の上に、もっこりと葉が茂っていて、それはまるで見上げれば雲。「あれは雲だね」といつか言った日から、通るたびに今日も雲の木だったと確認する。
更に小さな小道に入ると、カエル道。カエル道では、大股で歩いては行けない。真っ暗の道にはいつも数匹のカエル。足で蹴り飛ばさないように慎重に歩く。冬が終わるといち早く冬眠から起きだしてくるのも、このカエル道のカエルだけれど、その時は寒さで動けないので、よくこの道でぺちゃんこになっている。動けないうちに、誰かにぺちゃんこにされるのは、少しかわいそうだ。
すこし大きな道。左折。ネコよけの嫌な音波を流す家。柿の木、椿密集地帯、腰が曲がったおばあちゃんの古い家。右折。通学路の看板の右が我が家。玄関までの小道には、私の家を守ってくれているヤモリ。とてつもなく大きなカタツムリ(先日、ぺしゃんこになっているのを発見された)。そして我が家にもカエル3兄弟。右手に餌を待つネコ(名前をネムという)。玄関のカギを素早く挿してドアを開ける。わぁ、我が家のにおい。ホームスイートホーム。家の中が蒸し暑い。家の中の窓を全て開ける。一呼吸。完。



これで私の家まで来れた人とは、一緒にごはんを食べてみたいです。






2009.07.29 Wednesday ... comments(0) / trackbacks(0)
【向き合う face】




2008 Jan   Okinawa





1)
向き合うと辛いことを、
片隅に押しやって、気がつかないようにしておいたけれど、
そうやっていても一向にまえに進まないということは、
最初から知っていた。
それでもこの時間は必要だったし、
やっと体を解きほぐす準備ができてきた気がする。
体を動かしたい。
唐突だけれど向き合う準備ができてきた。

いじいじと考え続ける性格は変えられないけれど、
信頼する気持ちと、やわらかさをもってすれば平気だと思う。
いままでと違ってすこしだけ自信がある。
わたしはあなたを信頼している。


2)
向き合うという言葉を英語で表現すると、
Faceという単語が思い当たる。
すごく的を得た表現だと思う。
人と人との関係は、自分の顔を相手の方へきちんと向けることだとおもう。


3)
Faceという単語を見て、
ふと思い出した話がある。
「面白い」という言葉の語源は、
自分の顔に、光がさっと当たって白く明るくなることを言うという。
自分の前の道がサッと開け、前方から光が差して自分の顔に当たる瞬間を言うという。
私が尊敬する師匠が、このことを常々言っていた。
相手の顔に光がさして、パッと白く明るくなる瞬間が、自分の一番幸せなのだと。





2009.07.29 Wednesday ... comments(2) / trackbacks(0)
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